緑獄
- Green Hedge -
                

ハインリヒの視界はグリーンにけぶっていた。だがしかし、それは、安全地帯(オール・グリーン)を示す穏やかな緑ではない。
それはいっそ悪意さえ感じられる、苦々しい毒を含んだ、緑青(ろくしょう)色だった。

イワンとギルモア博士が世界中に張り巡らせた、偵察衛星(Spy Satellite)。その監視網に引っかかった、この地図にも載っていない、
座標も持たない、絶海の孤島。北極海の只中に浮かぶ、その小さな島に今ハインリヒをはじめ、00ナンバーズ全員がそろっていた。

ハインリヒはここへ来る前、日本のギルモア研究所で召集を受け、ひさしぶりにまみえたジェロニモのことを思い出していた。
その場で、いつもなら作戦に是非は問わず粛々と遂行するジェロニモが、今回のミッションに限って口をはさんだのだ。

「どうしても行かなければダメか?胸騒ぎがする…こういうときはじっとしているのも手だ。」

ジェロニモがここまで重い口を開くからには、何かがあるのかもしれない。彼の意向に添いたいのはやまやまなメンバーであったが、
イワンもまたジェロニモとは異種の予感を覚えており、また衛星の干渉電波をも通さないその島の全容をつかむためにも、現地へ乗り込み
直接確認するのが最善策、との判断が下されたのだった。

ドルフィン号で出撃したメンバーたちは、目的地のギリギリ手前――いざというとき、全力で脱出して振り切れる時間を必要にして充分かせげる距離――にて、
イワンとギルモア博士を待機組に残し、ある者は空から、またある者は海から、それぞれ得意とする戦法で件(くだん)の島を目指した。

ピュンマの助けを借りながら海から上陸したハインリヒとジェロニモも、二人一組となって島の探索を開始した。しかし一歩を踏み出したとたん、
二人はその異様さに息を呑んだ。

地面を埋め尽くさんばかりに繁茂する、毒々しい原色の草花。天を我先に占領する、梢(こずえ)を突き出した樹木。空はあらゆる形の葉に
ギザギザに切り取られ、そこから極北とは思えない、ギラギラした日光が突き刺さってくる。二人を威圧するように取り囲んでいるのは、
この極寒のはぐれ島に突如<出現した、熱帯雨林だった。

『ここからも良く見えるよ。海岸線ギリギリまで、ジャングルが迫っている。まるで故郷の海みたいだ。どうしてこんな…。』
『空からもはっきり見えるぞ。白い氷山と緑の密林…めったに拝めない組み合わせではあるな。』

二人を上陸させたのち、そのまま島を周回し、同じく海からさぐっているピュンマと、海鳥に化けて水平線の彼方をもにらみつつ、
島の上空を旋回しているグレートから、それぞれ脳波通信が入った。

『気を付けろ。この島はやはり、尋常ではなさそうだ。』
『了解。ボクらは先に行ってるよ!』
『そうね。やはりアタシのレーダーも効きが悪いみたいなの。』

ハインリヒの呼びかけに、先に上陸して進んでいる加速装置組のジョーにジェット、また脳波通信と高性能レーダーとを介してメンバーの
位置確認と索敵に集中するフランソワーズからも応答が入る。

自ら予想し警告したとおりに、いやそれ以上に、ハインリヒとジェロニモの道のりは、はかどらなかった。彼らの行く手に立ちはだかる
緑の衝立(ついたて)が、その魔手を伸ばしてくる。まるで意志を持っているかのように、巨大な蔦(ツタ)や蔓(ツル)植物が襲いかかってくるのだ。
さらに、彼らのカンを狂わせ、この島の異様さを際立たせている原因に、ジェロニモは、改めて思い当たった。

常と違うのは、鳥のさえずりや獣の遠吠えなど、密林につきものの様々な生物の音が、ここでは全くしないことだった。無音でただどこまでも続く
植物の檻(オリ)に捕らわれる錯覚が、二人を襲う。そのうえ、熱帯雨林に特有の、このむっとする湿気。機械の体に良いはずもない。
磁気を帯びているのか、ハインリヒのターゲットアイやレーダーイヤーなどの計器も狂いがちだ。奥地へ進むにつれ、003のレーダーも外れがちになり、
互いの脳波通信もとだえがちになった。いつしか、ハインリヒとジェロニモは、仲間から完全に孤立した自分たちを見いだしていた。



足の踏み場もないほどに繁殖した下生えを踏みしめながら、敵意を持って頭上といわず足元といわず襲いかかってくるツル植物を、右手のマシンガンと
左手のレーザーナイフで切り開きながら進んでいたハインリヒは、ふと、後ろの気配がいつの間にか消え失せているのに、今さらながら気付いた。

「005、どうした?!005…ジェロニモ!!」

遅ればせながらに振り返ってみれば、自分の後をたどってきているはずのジェロニモがいない。脳波通信で懸命に呼びかけても、いらえは無い。
ジェロニモに背後を安心して任せられるからこそ、自分はいつでも切り込み隊長ができるのだ。だが信頼のあまりに、後方への思慮を
欠いてはいなかっただろうか?ハインリヒは自問自答し、自責する。

「くそ、不覚だった!」

ハインリヒは迷うことなく、きびすを返した。しばらく自らの付けた道を取って返すと、果たしてジェロニモはそこにいた。
ツタにがんじがらめにからめ捕られ、身動きが取れなくなっている。

「この植物たちは…、」
「なぜ攻撃しない?!」

ジェロニモは腰まで緑に埋もれ、ホルスターに収まっているはずのスーパーガンはとっくに埋もれて見えなくなっている。

「…オレにはできない。彼らは嘆いている。こんな醜い姿に変えられて…助けてくれと訴えながら襲ってくるのだ。」
「彼ら?」

ハインリヒのレーダーイヤーには何も捉えられないが、機械の耳には届かない生命の声を、ジェロニモは心で直接聞き取っているのかもしれない。
それはジェロニモの属する文化に根ざすスピリチュアルなものかもしれなかったが、ハインリヒにとってそれはいつも、敬愛かつ尊崇(そんすう)の対象だった。

「おまえを守ってやれなくてすまない。このままでは、オレはおまえの足手まといでしかない。それはオレの本意ではない。
…オレは引き続き、彼らに語りかけてみる。オレがここで彼らを止めている間に、おまえは先へ進んでくれ。」
「イヤだ!このままじゃおまえさんが埋もれてしまう…!」

ハインリヒはジェロニモを緑の檻から引きずり出そうとするが、彼のとぼしい腕力では到底ジェロニモを解放できそうにない。まさかジェロニモごと、
このツタを切断するわけにもいかない。この植物は切っても斬っても、キリがないほどに切断面からまた新しい芽が吹いてくるのだ。

「おまえさんと一緒なら、ここで朽ち果ててもいい。」
「それは、ダメだ。」

自らの太い腕にしがみつくハインリヒの鋼鉄の手を、もっと大きな厚い手で優しく取りながら、ジェロニモはそれでも厳然と言い放った。

「死神ともあろう者が真実を見誤ってはならない。目の前の彼らもまた被害者なのだ…我々と同じだ。死神のほふるべき真の敵は別にある。
先に行った009たちを加勢してくれ。島の中央にコントロール・タワーがある。彼らを救う手だてが、きっとそこにあるはずだ。」

巌(いわお)のように静かだが揺るぎないジェロニモを前にして、ハインリヒもジェロニモを救うには前進あるのみと、腹をくくった。
断腸の思いでジェロニモから手を引き、背を向ける。そしてもう、ハインリヒは振り返らなかった。



ハインリヒは茂る植物に足を取られそうになりながら、それでも真っ直ぐに進んでいく。島の中央に近づくにつれ、磁力が強くなってくるのか、
めまいにも似た感覚がハインリヒを襲う。ぐるぐるぐるぐる…方向感覚が鈍り、上下左右、天地が全て緑に染まっていく。自らも緑に呑み込まれそうになる。

「くそっ!!」

ハインリヒは全力で疾走しながら、長い前髪を、連射の衝撃で熱を帯びる鋼の右手でかき上げた。その手に残る、さきほどのジェロニモの感触がよみがえり、
ハインリヒは我知らず、かっと体を熱くした。あの太い腕、たくましい胸板に、今までこんなにも守られていたのだと、改めてその大きさと深さを思い知る。
あの温かい、優しい熱を失うわけにはいかないのだ。

「だれにも邪魔はさせん…!」

ハインリヒは右手をかまえ直し、視界をさえぎる植物たちにターゲットアイを向けた。



ハインリヒの背中を見送ったのち、ジェロニモは一人たたずむ。自らにうねうねとまとわりつき取り込もうとする植物たちに、
あくまでも柔らかく、穏やかに語りかける。

「大丈夫だ。何も怖がることはない。オレはおまえたちを見捨てはしない。死神が必ず、救ってくれる…。」

あやすように、なだめるように、手を挙げ、それからジェロニモは静かに目を閉じ、植物とともに、助けを待った。

緑は徐々にしかし確実に、ジェロニモを侵食していく。腰から背と腹をはい登り、胸へ、首へと。もう顔の中ほどまでもツルに覆われ、
その青臭い、むっとする草いきれが鼻を突く。しかしジェロニモは怖れることはしない。頭まですっかり緑に埋もれる寸前、いつのまにか
意識も沈んでいたらしいジェロニモがふと、浮上したとき、あたりは様相を一変させていた。



一面を焼きつくさんばかりに勢いを誇る、炎。どこから発生したのか、火災がジェロニモを取り囲み、じりじりとその輪を縮めつつあった。
植物は火にあぶられ身もだえし、ジェロニモに断末魔を訴えてくる。ジェロニモ自身は鋼鉄の体と、防火性能もあわせ持つ防護服のおかげで火に
巻かれる危険はないが、これだけの火勢となれば、さすがにジェロニモの手にも余る。ジェロニモにできるのは、彼らの最期の声に耳を傾けて
やることだけだった。

「…、…!」

そのとき、ジェロニモの耳に、植物の悲鳴に混じって、聞き慣れた、愛しいかすれ声が絶叫するのが、聞こえた気がした。いや気のせいではない。
ジェロニモは再び目を開けた。

「ジェロニモ!!」

密林中を焼き焦がす炎を背負い、全身を紅蓮に染めた死神が、唐突にジェロニモの目の前に現れ、その首に飛びつき抱きついてきた。
銀髪とその白磁の顔は煤(すす)で薄汚れ、赤い防護服は炎よりもなお赤く、ハインリヒの右手も両膝も、また体中のあちこちから、
細い煙を幾筋にも吐き出している。満身創痍とはまさにこのことだったろう。

――これは夢か…いや夢のはずがない。たしかに、死神だ。

確かめるように、やや細身のハインリヒの体にそっと両手を回したジェロニモに、ハインリヒはさらにぎゅっとしがみついてきた。

「…これしか方法がなかったんだ。」

ハインリヒの薄い唇から、ぽつりと言の葉がつむぎ出される。

「この島中の火付けに、マイクロミサイルは全弾撃ち尽くした。あとは、張々湖が手伝ってくれている。」

そこで説明を区切ると、いったんハインリヒは顔を上げ、ジェロニモの無事を確かめるように顔をじっとのぞきこんだ。ジェロニモもまた、
ハインリヒを見つめ返す。しかしそうされるとハインリヒはふと、視線を外した。

「どうした?」
「これは地獄の業火なんだ。」

なんとかコントロール・タワーにたどり着いたハインリヒは、先に到着していたジョーやジェットと協力して、管制室を破壊することに成功した。
もともとここは、BGの数ある基地の一つだったらしい。この植物たちは何かの生物兵器を目的に開発されたが、暴走して手に負えなくなり、
この島ごと廃棄されたのだろう。そして今までは北極海の厚い氷に覆われていたものが、このところの温暖化でそのベールをはぎ取られ、真の姿が
あらわになったのかもしれない。それが植物の繁茂にさらに拍車をかけたのだろう。しかし、00ナンバーたちに植物の制御を断ち切ることはできても、
一度発動した植物の暴走までは止められなかった。

「このままだと海を渡って、外界にまで影響を及ぼすのは必至だ。その結果は、この目の前の火を見るよりも明らかだろう。…だから…。」

ハインリヒはそこまで言ってしまうと、うつむいて自嘲ぎみに口の端を吊り上げた。

「結局、オレは破壊しかもたらさないんだ。」
「いや、それは違う。おまえは彼らを救ったんだ。…聞こえないか?彼らの声が。」
「そんな都合の良いこと、あるわけが…。」

納得しないハインリヒの頭を大きな手で柔らかく包み、ジェロニモは自らの胸に引き寄せた。

「これならどうだ?」

ハインリヒはジェロニモの胸に耳を当てる。そうすると、ふっと目元と口元をゆるめた。

「あぁ…ここからなら聞こえるぞ、ジェロニモ。」

ハインリヒはジェロニモの胸に顔を埋め、そのまま目をゆっくりつぶった。ジェロニモはそんなハインリヒの頭を優しく抱えなおす。

「おまえはいつでも救いの神だ。オレたちの…オレの。」

ハインリヒとジェロニモは、緑を見送る葬送の焔(ほむら)に朱(あけ)に照らされながら、いつまでも抱き合っていた。
 

緑獄(2009.09.19)
ひっそり祭にご参加ありがとうございます!
めりる様より切ないけど54の絆が強く感じるお話を頂戴しました!

サイボーグとしての使命は過酷だなと。
緑に囚われるジェロさんについ萌えてしまいました・・あぁ!

このめでたき4誕月間にご投稿ありがとうございました!

めりる様のサイトへもぜひ!Glas Herz


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