tiny little thing
                

 それは、ジェロニモの片手にのるぐらいの大きさだった。
小さな体には不釣合いに重たげな前足を、ちょこん、とジェロニモの拳のくぼみにかけている。
まだ、ぽやぽやした毛なみだが、黄色と黒の鮮やかな縞模様は、紛れもなく…
「トラ、か…?」
呆気にとられた声を出してから、思わずハインリヒは叫んだ。
「一体、どこで拾ってきたんだ?!」

いくらジェロニモが異常に動物に好かれるパワーを持ち合わせているとはいえ、ここはアメリカ合衆国インディアナ州の
人里離れた森の中だ。
野生のトラなど、いるはずもない。
「茂みの、中に、いた」
こともなげにジェロニモが言うのに合わせて、ミャア、という、くっきりした鳴き声が聞こえた。
上から覗き込んだハインリヒに、挑戦的な一瞥をくれた後、ジェロニモに短い鼻面をくすぐられて、気持ちよさげに喉を
ごろごろいわせている。
「…猛獣じゃないか…!」
「まだ、子どもだ」
ジェロニモが穏やかに言い返して、草の上に腰を下ろした。つきあって、ハインリヒも渋々、かがみ込む。
子トラは、といえば、かじかじとジェロニモの手の甲に噛みついて遊びはじめた。
防護服の袖口が、瞬く間に涎で染みだらけになるのを見て、ハインリヒは眉をひそめる。
くわっと鼻に皺を寄せて口を横開きにする様子は、子どもながらに迫力があって、人に噛みつきでもしたら大変だ、と思った。
生意気に、ちっぽけな犬歯まで生えているのだから。
知らず、憎々しげな声が出た。
「こいつ、腹を空かしているだけなんじゃないか?」
「歯の、生えかけで、痒いんだろう」
おっとりと、ジェロニモが言っている間にも、ご丁寧にも頭を振り立てて、牙のあたる角度を変えながら、ぶ厚い、その手を
くわえている。すっかり、この遊びが気に入ったらしい。
つい気になって、ハインリヒは口走った。
「…痛くないのか?」
ジェロニモが、素早くハインリヒの顔を見た。しばらく間があってから、
「いや」
短い返事の中に、控えめな笑いの気配を感じ取って、益々、ハインリヒは憮然とする。
確かに答えの分かりきった質問だった。ジェロニモの体は銃弾も跳ね返すほどの人工皮膚に覆われているのだ。仮に大人の
トラに襲われたとしても、かすり傷ひとつ受けないだろう。
照れ隠しに立ち上がると、口を開いた。
「そいつを、どうするんだ?警察か動物園にでも、あたってみるか」
「ミスターディーンに、聞いてみる」
思いがけないジェロニモの言葉に、ハインリヒは仏頂面で聞き返した。
「誰だって?」
「この辺りで、トラの繁殖と、販売をしている、男だ」
さすがに、物好きの程度ではアメリカ人にかなわないな、とハインリヒは内心呆れるが、口には出さない。

ジェロニモが、両手で子トラの胴をそっと挟んで、持ち上げた。
「抱いて、みるか?」
「えっ…」
固まったハインリヒの胸に、やわらかな毛皮のかたまりが、そっと押し付けられてきた。
暴れるかと思ったら、意外とそうでもない。
温かい血管に裏打ちされた、複雑な色合いの瞳が、自分の顔を映している。
高めの体温とともに、小さな心臓の鼓動がトクン、トクンと伝わってきて、何ともいえない気持ちになった。
おそるおそる、左手の人差し指を、丸い鼻の前にかざしてみる。鋼鉄の右指では、怪我をさせてしまいそうで怖かったから。
新しい遊び相手に、大喜びで食いついてきた。ハインリヒの人工皮膚は、ジェロニモのものほど丈夫に作られて
いないから、ぷつぷつと牙の先端があたって、痛い。
けれども、その痛みには、どこか懐かしいものがあったから、黙って子トラがやりたいようにさせていた。

ふと、ジェロニモが、熱心に自分を見つめていることに気がつく。
「やっぱり、似合わないか?」
苦い笑みを混ぜて訊けば、
「…似合わない、という、ことは、ない」
珍しくジェロニモが、まわりくどい言い方で、頬を赤らめる。

この体に改造されてから、動物に触れることは極力避けていた。まして動物の子どもを胸の中に抱くなんて、記憶も
薄れるほど、はるか昔のことでしかない。
よく、雨に濡れた子犬や子猫を拾ってきては、両親に叱られていた。

「かわいい、だろう」
ジェロニモの声に、素直にうなずく。
もっとも、そんな気分は、荒々しくマフラーにじゃれつかれて尻餅をついた瞬間、吹き飛んでしまったが。


   ミスターディーンのトラ牧場は、歩いて30分程のところにあった。
案の定、“タビサ”という名前の幼い雌トラが、朝の散歩中に迷子になって、大騒ぎになっていたところだった。タビサの
帰宅に大喜びする余り、
牧場の人々がジェロニモとハインリヒの特異な風貌に ――この一帯では見慣れない容姿だし、その上、今日は真っ赤な
防護服と黄色いマフラーをまとっている―― あまり注意を払わなかったのは、幸いとしか言いようがなかった。
タビサ自身は、ジェロニモの腕にしがみついて、まだ一緒に遊びたいのだと必死に自己主張していたが、結局は檻の中へ、
おとなしく連れて行かれた。
お礼がしたい、というミスターディーンの熱烈な申し出を、どうにか辞退した後で、コーヒーだけご馳走になった。
アメリカ全土で人工飼育されているトラは5000頭にも及ぶと聞かされて、ハインリヒは目を丸くする。
野生のトラの生息数は減る一方なのだから、そのうち、こういった場所でしか見ることのできない動物になるのかも
しれないな、とさえ思う。

 
ミスターディーンの家を辞して、仲間との合流地点へと急ぐ。
「なぁ」
ジェロニモが振り返った。
「…あいつらは、ああやって狭い囲いの中で暮らしていて、幸せなんだろうか」
ハインリヒの問いに答えようとはせず、ジェロニモが、無言で腕を伸ばしてくる。軽く肩を抱き寄せられて、
ハインリヒは続けようとしていた言葉を、胸の中に折りたたんだ。黙ってジェロニモの広い背中に腕をまわす。
「行こう。皆が待っている」
ジェロニモの声の心地よい低音が、一部だけ空っぽになっていたハインリヒの心に染み通った。
「…そうだな」
木漏れ日を見上げて、ハインリヒは目を細める。

“ジェロニモが、トラを見つけたんだ!”
そう、自分が言った時の、皆の驚く様子を、頭の中で思い浮かべながら。

 

tiny little thing(2010.05)
2009年に開催ジェロさん祭なのに2010年って!!
新年のご挨拶にこちらを送りつけてしまったのですが、
その後このような素敵なお話を頂戴いたしました(感涙)本当にありがとうございます!!
いつもなんですが(汗)こちらの事情でアップがだいぶ遅れてしまいました。
ごめんなさい。
これからも懲りずにお付き合いくださいませ。
sh様ありがとうございました!


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