身も心も
                

 真夜中を過ぎて、また雪が降ってきた。

日付が変わってしまったから、もう昨日の晩のことになってしまったが、何年かぶりに全員がそろって、新年を祝った。
外は横殴りの雪が降り続いていたけれども、部屋の中は汗ばむほどの暖かさで、どの顔も久しぶりの再会の喜びに輝いていた。

ジェロニモは酒を飲まないし、気の利いた会話も苦手だ。
早々と、自分の部屋に引きあげた。
眠くなるまで、グレートに借りたブレイクの詩集を読むつもりだった。
どのぐらい経って、だろうか。
ノックの音に、ドアを開けた。
「わりぃな、こんな遅くに」
思いがけない来訪者は、ジェットだった。
「もう、みんな寝ちまって、グレートとハインリヒの3人で飲んでたんだけどよぉ…」
ハインリヒが悪酔いしちまって。
その部分を言いにくそうに、赤毛の少年は口にした。
それもそうだ。
ハインリヒの体は機械化された部分が多いから、毒物やアルコールに対する反応が、誰よりも鈍い。
まして酒に飲まれるなど、潔癖なハインリヒが何よりも嫌う醜態のはずなのに。
「グレートが困っててさ。…ちょっと行ってやってくんないかな?あのおっさん、おまえの言うことなら、わりと素直に聞くだろ?
俺やグレートには強気だからさぁ」
意識はしていないのだろうが、ジェットが唇を尖らせる。
恐らく、散々に言い負かされたのだろう。
「わかった」
短く言葉を切ると、ジェロニモは部屋の外へ踏み出した。



「おいおい、無茶な飲み方はしない方がいい」
「いいじゃないか、たまには…」
グレートの制止を振り切って、ハインリヒがブランデーのグラスを傾ける。
薄い唇の合わせ目から、妖しく揺れる琥珀色の液体が吸い込まれていく様子を、ジェロニモはじっと見守っていた。
ひと息に底まで空けて、さすがに荒い息を吐いている。
ぐったりと目を閉じて、ソファーの肘かけに頭をもたせかけたハインリヒを前に、グレートが困り切った表情を浮かべた。
「ほら、言わんこっちゃないだろう?ビールみたいに飲める酒じゃないんだ…!」
しきりにぼやくグレートを尻目に、ジェロニモは落ち着いて、だらりと下がったハインリヒの右手からグラスを取り上げる。
焦点の合わない瞳を眩しげに細めて、ハインリヒがジェロニモを見上げた。
蒼白な顔色の中で、目元だけが鮮やかに染まっている。
どこか不吉なほど生き生きとした風情に、ジェロニモは一瞬、グラスを捧げ持ったまま、立ち尽くした。
ありきたりの白いシャツをまとったハインリヒは、ぞっとするほど美しく見えた。
「もう一杯くれ」
平素と変わらない口ぶりで、言う。
グレートが首を振った。
「吾輩は、もう寝る。お前さんも寝た方がいい」
穏やかに噛んで含めるような言い方で、ハインリヒの肩を叩く。
体に触れられることを極端に嫌がるハインリヒが、珍しく黙ってうつむいている。
案の定、がくり、と首が横に折れて、すぅすぅと寝息が漏れだした。
無防備な寝顔が、心もとない。
「まったく…どうしたのかな。我らが死神殿は…?」
グレートの独りごとに、ジェロニモは返事をしなかった。
ハインリヒの脇腹と膝裏に両腕を差し入れて、軽々と抱き上げる。
半分以上が機械の体は、見た目よりもかなり重いが、ジェロニモにとってはどうということもない。
「お前さんが来てくれたんで助かったよ…。おやすみ、ジェロニモ」
グレートが、ほっとした声を出した。
お得意の芝居がかった言葉つきではなく、彼自身のストレートな物言いに、ジェロニモは立ち止まって、振り返る。
再び、歩き出した背後で、グレートが居間の電気を消した。


時々、やりきれない気分になる。
皆と機嫌よく飲んで騒いだ後は、特に。
自分達が、思い切って人間のふりをしている、機械の塊の集団に過ぎないような気がするのだ。
今夜は、役者だったという男の、なにげない一言が発端だった。
“世界は舞台、人間は役者。すべては、みな、夢の材料に過ぎぬ”
それならば、俺の人生は悪夢の連続ということになる。
しかも、永久に終わることのない。
自分が生きているのか死んでいるのか、分からなくなるのは、そんな時だ。
生物学的観点から言えば、とっくに死んでいた。
他の仲間のことは知らないが、俺自身は、改造手術そのものによって生かされたくちだ。
致命的な銃撃を受けていた体は、あのまま放っておかれれば、確実にあの世行きだった。
だが――機械仕掛けの体を持つ現在の俺が、本当に生きている存在なのだと言い切れる自信もない。

――だから、死ぬのとは正反対のことが、したくなる。


ジェロニモの気遣わしげな目つきに、腹が立った。
自分で、歩ける。
ぴしゃりと言ってやろうとした途端、ふわり、と体が宙に浮いて、わけが判らなくなった。
慌てて太い首にしがみつく。
「…どこへ、行くんだ…?」
息を切らして問いかけた。
「ベッドへ」
例によって、ジェロニモの答えは簡単だ。
天井の底がぐらぐらして、目が開けていられない。
ちぢこまった体が、ふわふわと運ばれていく。

仰向けに、降ろされた。
後ろ手に、固い布地が触れる。
確かに、ベッドだ。

ジェロニモを見上げた。
こちらを見下ろしてくる顔は、ぼやけた色をしている。
前髪が邪魔で、顔を左右に振り立てて払いのけようとしたが、うまくいかない。
のろのろと、シャツのボタンに手をかける。
一つずつ外しかけたところで、両方の手首を、柔らかく、ジェロニモに掴まれた。
そのまま、頭の両脇に押さえ込まれる。
肘の力を抜きながら、にやりと口の端をゆがませた。
「…しないのか?」
言葉以上に、下卑た一瞥を投げかける。
闇の中で、はっきりとジェロニモが顎の線をこわばらせるのが分かった。
怒りなのか、軽蔑なのか。
今の自分にとっては、どうでもいいことだ。
いくら、まともな人間のふりをしたところで、決定的に変えられてしまったものが、元通りになるわけではないのだから。
機械とも人間ともつかない、化け物じみた体をくねらせて、同性をベッドに誘う。
そんな真似をして何が悪いと、開き直った自分がいる。

「したい、のか」

突然、ひどく真剣な声が降ってきた。

「え…?」

一瞬、ハインリヒは、茫然とする。

違う、と思う。
こんな風に、抱かれたいわけではなかった。
思わず、目を伏せる。

だが、それが合図でもあるかのように、巨大な影が、ゆっくりと覆いかぶさってきた。


全裸に剥いた体を組み敷いた。
両腕を広げて、抱きすくめる。
冷たい髪に鼻先を埋めて、薄い耳たぶを歯の間に挟んだ。
「あっ…」
反射的に震えた機械の右手を握り締め、今度は胸に口づける。
く、と反り返った背中を、やんわりと抱き寄せた。
甘く、たわみはじめたハインリヒの体に、唇と掌を、じっくりと這わせていく。
ハインリヒが、震えながら我慢していたのは、最初のうちだけだった。
「あっ…あ、あ…ん…うぅ…ん…」
体を波打たせるようにして、快感を訴えてくる。
だが、そこから先へは、どうしてもたどり着けないらしい。
丹念な愛撫の手を休めようとはせず、ジェロニモは眉をひそめた。
これほどの興奮状態にありながら、男性として当然の部分に、目立った変化はない。
飲み過ぎたのなら、仕方のないことだ。
それでも、何とかしてやりたかった。
大きく開かせたハインリヒの足の間に、跪く。
がっちりと左右の太腿の付け根を抱え込んで、ためらいなく顔を伏せた。
なぞるように、抉るように、舌を遣う。
頭上で、喘ぎ声が大きくなってくる。
淫らに腰が浮き、固い金属の足指が、肩甲骨の辺りをさまよっている。
初めて見せられた奔放な仕草に、ジェロニモの自制が容赦なく熔かされていく。
根気よく、口の中のものを育て上げる。
やがて、十分な高さを保った先端から透明な蜜が溢れ出し、ジェロニモの顎を伝う。
長く舌を伸ばすと、思い切って奥を探った。
「ひ…っ…!」
ハインリヒの背中が、弓なりに反る。
がくがくと、膝が開く。
夢中で、ジェロニモは、投げ出されていた金属の足首を掴んで、持ち上げた。
大きく足を広げさせる。
仄暗い入口が、わずかにゆるんで、鮮紅色の内部が見えた。
獰猛に、誘う肢体に息が詰まる。
こういう状態のハインリヒを抱くことが、自分にとってどんな意味を持つのか、今は考えられなかった。
強引に割り裂いた体の中へ、一気に巨体を押し込んだ。

熱い地肌を伝った汗が、ぽたり、とハインリヒの白い胸にあたって、砕ける。
「あっ、あ…ぅあ…あ…っ…!」
小刻みに、ハインリヒが喘ぎ続ける。
時々、控えめに突き上げれば、その都度、声が大きくなった。
「あぁっ…ジェロ、ニモ…も、う…」
口走った瞬間、ハインリヒの半透明の瞳が揺らいで、一気に涙が溢れ出す。
濡れた頬へ唇を押しつけながら、切れ切れにジェロニモは呻く。
最初の飛沫が飛び散る予感に、狂気にも似た焦りが募る。
本能のままに、体を寄せる。
必死に、抱き締める。
噛みつくように口を吸い、その体内へ、いっそう深く、己を食い込ませる。

もう何も見えず、何も聞こえない。
ぶ厚い背中を丸め、ぶるぶると全身を震わせて、ジェロニモは己の苦しみを、ハインリヒの中へ注ぎ切る。

 
ずるり、と、首に巻きついていたハインリヒの腕が、ほどけて落ちた。


力を振り絞って、ジェロニモは、体を、起こす。

汗ばんだハインリヒの腰骨に、手をかけた。
時間をかけて、精も根も尽き果てた己を、慎重に、引き出していく。
「あ…」
ひやり、と冷たい空気に弄られた瞬間、ハインリヒが、小さな声をあげた。
しどけなく開いた金属の膝が、ひく、と痙攣し、そのまま斜めに崩れていく。

完全に、意識を失っている。

身じろぎした途端に、ベッドのスプリングが軋む大きな音がして、ジェロニモは身を縮めた。
もう、夜明けも近い。
寝静まっているはずの皆を、起こしたくなかった。
――それとも、もう起してしまっただろうか。
ジェロニモの無表情な顔が、熱くなる。


横たわるハインリヒは、さっきまでの乱れた姿が嘘のように、目を閉じている。
手を伸ばして、湿った前髪を軽く梳いた。
――ハインリヒ。
口の中で、ジェロニモは呟く。
整った顔立ちは、石膏でかたどったデスマスクのようだ。
不吉な思いつきを追い払うようにして、ジェロニモは、目に見える造作に、いかつい指先を這わせていく。
薄く彫り抜かれたような瞼。
まっすぐな鼻すじ。
ほとんど膨らみのない、大きめの唇。
角張った顎は、掴んでみれば、意外に細い。
耳朶は、剃刀で削いだみたいに、ひんやりと薄かった。
そして ――右腕と、膝から下を覆う、金属の部品たち。
ハインリヒが、それらを忌み嫌っていることは知っているが、ジェロニモにとっては、大切なハインリヒの一部だ。
嫌うことなど、できはしない。

言葉にできない愛しさをこめて、ひとつずつ、触れていく。


酔いが醒めた後のハインリヒは、何も覚えていないふりをする。
酒の勢いで、自分を求めた時は、いつもそうだ。
目を開けるなり、気まずそうな横顔を見せて、そそくさと部屋を出ていく。
その腕を掴んで、無理やり自分の方へ振り向かせることができれば、どんなにいいだろうと、思った時期もあった。
今は、そんな風には思わない。
何か大事なものを、そうと知らずに失ってしまったような哀しみが、平らに押し寄せてくるだけだ。
もう、ハインリヒを知る前の自分には、決して戻れない。
そう思うだけで、どうしてこんなに、打ちのめされたような気持ちになるのだろう。

シーツに突っ伏したくなるのをこらえて、ジェロニモは、頭を低くした。

ハインリヒに口づける。


眠っているとばかり思っていたハインリヒが、静かに目を開けた。


「…まだ、酒くさいか…?」
ひどく真面目に問いかけられて、
「いや」
ジェロニモは、かすかに微笑んだ。
どんな種類の哀しみでも、ハインリヒには見せたくないからだ。

伸びてきた腕に軽く抱き寄せられるまま、もう一度、唇を合わせる。
「…すまなかった…」
ハインリヒの低い声に、謝らなければならないのは自分の方かもしれない、と、ジェロニモは思う。


カーテン越しの闇は、仄かに、白い。
まだ、雪が降っている。


きっと、この部屋の上にも音もなく、降り積もっているのだろう。

 

身も心も(2011.05)
新緑眩しい季節となってます(汗)が頂いたのは冬でございました・・・・
ここまで色々ございましたがようやく展示させて頂きました。
まさに身も心も蕩けるお話でございました・・ハァハァ
sh様vv御馳走様でした!!
御馳走を長い期間ねかせてしまいすみません(大汗)

・・・これからもよろしくお願いします・・・


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