「concern」


 青空に、柔らかく白い雲が浮かび、穏やかな陽光が分け隔てなく、慈悲深く世界を包んでいるような錯覚を受ける、静かな午後。昼食を終えたばかりのそんな時間に、ギルモア邸は珍しく、緩やかな喧騒に包まれていた。普段はその広さに対して、人気の少ない観を受ける崖の上に建つ屋敷だったが、寄る人の低い熱が集い、交わされる会話が流れ、微かな笑みと微かな何かが浮き沈みするその全てを抱擁するような姿は何処か、淡く、いまの陽光のように暖かだった。
「ええと、ジェロニモとグレートとピュンマは今日の最終便で、アルベルトは明後日の便でフライトの座席が手配できたわよ。これでいいかしら?」
 フランソワーズがプリントアウトした紙を手に、そう言いながら居間に入ってきた。
 ひとつの事件が解決し、緊急で呼び集められた仲間達が、いつもの生活に戻る為、自国へ帰る為の手筈の一端を整えたと、告げながら。
 昼食の後、久しぶりにギルモア邸の居間で、それぞれの好きな場所に掛けて寛いでいた面々は、その声に振り返り、メンバー唯一の女性の労を労って礼を言う。
「あら、ジョーとアルベルトはまだ下なの?」
 居間の中を見回して、フランソワーズは足りない顔触れの所在を尋ねる。
「そうみたいだね。お昼が冷めるって大人がこぼしてたけど、未だかな?」
 ギルモア博士とチェスを挿していたピュンマが、首を伸ばして、くじ引きで負けたジェットが片付けを手伝っているはずの、食堂兼キッチンの方を覗き込むような素振りを見せる。
 その応えに、片頬に手を当てて、困ったわねという顔をしたフランソワーズに、ピュンマが尋ね返す。
「今回、ジェットのフライトは?自前?」
 座席確保の確認に無かった仲間の名を出し、後天的に備えられたその能力で自力で帰るのかと尋ねれば、フランソワーズは更に困ったような、少し嬉しそうな顔をして見せた。
 その表情に、赤毛の仲間が直ぐにはこの屋敷から立ち去らない故の、名前の出なかったことを察して、ピュンマも同じように苦笑を返した。ジョーと思い合う中のこの女性が、ジェットにはまた別の、兄妹のような親しみを持っていることは皆知っていることだった。理由が何であれ、無理を言うでもなく、少しでも長く滞在してくれることは、それなりに嬉しいらしい。
「フラン?!」
 不意にキッチンから、片付けの手伝いをしているはずの話題の主が、大きな声で呼びかけてきた。
「なあに、ジェット」
 声を掛けられた方も、普通に声を大きくして返す。
 自分たちにはそんなに声を上げなくとも、何の支障も無く会話が出来る能力が備えられていると言うのに、何故か日常というところへ戻った途端、そんなものは何も無いかのように、普通に、ごく普通に振舞うことが少なくない。
 そのことにふと気付いて、ピュンマはフランソワーズの側で小さく笑った。
 特に今は、少々てこずった事件を解決したばかりで、皆が皆、持てる能力をフルに活用した直後だということもあり、そのギャップが少々、可笑しくもあった。
「なあに?」
 キッチンへ向けて足を踏み出しかけていたフランソワーズが、耳ざとくすぐ側で笑うピュンマに気付いて振り返った。
「なんでもない」
 笑みのまま返して手を振れば、不信そうな表情が返される。
「なんでもないよ。それより、ジェットが呼んでるんじゃないの?」
 そう促し、促されて、フランソワーズも顔を上げる。そして、「そう?」とだけ口にすると、足早にキッチンへと向かって行った。

「ビールが無いぞ」
 フランソワーズがキッチンへ入ると、大人数の腹を満たす先兵の役をになう包丁を研ぐ張々湖の横で、冷蔵庫の扉を開けて屈み込んでいるジェットが、足音で聞き分けたか、前置きもナシにそう訴えてきた。
「・・・だから?」
「ビールが無い」
 それでもまだ屈み込んで、もしかしたらこの冷蔵庫の中の何処かに在るのかも知れないと覗きながら、ジェットは同じ言葉を繰り返す。
 そんな態度に、フランソワーズは小さく溜息を吐き、「買い置いてないわよ」と小さく返してから、電気代がもったいないから閉めてと付け足した。
「博士くらいしか飲まないから、買い置いてないわよ。今回は得に緊急招集だったし、何も用意してないわ」
 諦めて冷蔵庫の白いドアを閉める赤毛の青年の前で、フライト確認の紙を手にした女性は、そう言って小さく肩をすくめてみせた。
「自分で飲む分は、自分で調達するアルよ」
 包丁を研ぎながら、横から張々湖が笑って口を挟む。
 それに小さく舌打ちを返したジェットがフランソワーズに下から睨まれるのを見て、小柄な丸い男は声を立てて笑った。
「アルベルトと一緒に、ついでに買出しもしてくる。よろしアルね」
 歌うようにそう言うのに、ジェットとフランソワーズは少し目を瞬かせ、それからどちらも苦く笑った。
「買い出しねぇ」
 気乗りのしなさそうな声に、「自分で食べる分アルよ」と諭され、仕方ないかと肩を落とす。
 その大げさな仕草に、小柄な男も、親しい女性も淡く笑う。
「ちゃんとアルベルトを連れて行くアルよ」
 念を押され、ジェットはそう言う張々湖の表情に含まれるものを汲み取って、苦笑を返した。
 ちゃんと買出しに行けではなく、ちゃんと連れて行けと言われて。
「フライトの座席取れたって、言っておいて」
 控え目に言うフランソワーズの表情にも同じものを見て、彼女の額にキスをひとつ落として返答に代え、ジェットは了解の意味を込めて、ふたりに軽く手を上げて見せた。

 エレベーターで地下の研究施設兼船のドッグへと降り、ジェットは小さく頭を掻きながら、キャットウォークから直接、船のブリッジへと入った。
「あれ、アルベルトは?」
 開け放したままだった扉から中を覗き込み、いる筈だと思っていた人物の足りないことに、労いの前につい、そう口にすれば、コントロールパネルの前で、チェック表を片手に細かい数値を覗き込んでいたジョーが、軽く笑って振り返った。
「エンジンを見てくれているよ」
 指先をエンジンルームの方へと向けながら苦笑と共にそう言われて、ジェットは「そうか」と返した後に、決まり悪そうに「ご苦労さん」と付け足した。
「あいつ、借りていっていいかな?」
 また頭を掻きながら、言い難そうに切り出せば、計器類を覗き込みながら、「もう終わる頃だから、いいよ」との軽い返事。
「Thank you. 張々湖が買い出しにあいつを連れて行けって言うから・・・」
 言い訳のような口調に、ジョーが肩越しに振り返って、キッチンでのフランソワーズのような苦笑を見せた。
「・・・そうだね。出かけたほうが良いかも」
 呟くように、そう返してきた。
 一瞬見つめ返して、刷く苦笑。
「じゃあ、借りてく」
 短く言い、それからふと、思い出したように付け足した。
「張々湖が、昼飯食わないのかって騒いでたぞ」
 言われて初めて気付いたかのように、ジョーはチェック表を持った手首に目を落とした。
 昼食の時間は、とうに過ぎている。声は掛けないから、時間になったら都合をつけて上がってくるようにと言われていたことを思い出して、ジョーもまた、軽く頭を掻いた。
「怒られそうだな」
 控え目な、それでいて何処か楽しそうなその言に、ジェットは軽く両肩を上げて返し、それから、小さく手を振って、ブリッジを後にした。

 キャットウォークの低い柵を乗り越えてドッグの床に降り、船体を回り込んでやっと、目的の人物を探し当てた。
「買い出しに付き合えよ」
 タラップの先で、エンジン下部のメンテナンスハッチを覗き込んでいる作業着姿の相手へ、下から声を掛ける。
「勝手に行け」
 だが、返されたのはつれない返事。
 軽く溜息を吐き、また頭を掻いて呼びかける。
「ビールがないんだ。一緒に行かないなら、俺の好きな銘柄しか買ってこないぞ」
 僅かの間。
「ハイネケンでいい」
「そうじゃないだろうが!」
 返された応えに、ジェットは少し苛ついた声を上げ、タラップの手摺にかけていた手を引くと、軽い屈伸のひと跳躍で、タラップ天面より少し下の段へ跳び上がった。
「そうじゃないだろう」
 猫科の動物のような音を殺した着地の後、それでも少し押さえてもう一度言えば、やっと、視線を向けられた。
「一緒に来いって言ってるんだ」
 食い下がる誘いに、今度はアルベルトの方が不機嫌そうに目を細めた。
「勝手に行けと言っている」
 同じ応えを返され、また視線を逸らして作業に戻られてしまい、ジェットはいっときの逡巡の後、軽く舌打ちをして、タラップの残りの数段を登り、なんの断りもなく、不意に後ろから腕を伸ばしてアルベルトを抱き締めた。
「!!」
 予想をしていなかったらしい行動に、アルベルトがバランスを崩して後ろに体重を預けてくるのをそのまま、二人はタラップの天面に座り込んだ。
「一緒に来いよ」
 慌てて立ち上がろうとする相手を後ろから抱き締めて留めさせ、座り込んだままジェットは小さくまた言う。
 それでも抗おうとするのを、さらに腕に力を入れて狭めれば、暫くの攻防の後、やっと諦めたように力を抜かれて、息を吐く。作業用のタラップの天面で、男二人が後ろ向きに抱き込んで抱き込まれて、暫く黙って座り込んでいた。
 離すつもりのないジェットの腕の中で、アルベルトは少々神経質そうに、しきりと作業用の革手袋を何度も直す。その仕草に、後ろから硬い肩口にそっと顎をのせて伺えば、お決まりの振り払うような肩の動き。それでも譲らずに接すれば、また、諦めたような沈黙。
「俺は嫌だなんて一度も思ったことないぜ」
 息を吐くように、ジェットは静かにそう言った。
 顎をのせている肩が、一瞬震えた。
「俺の好きなあんたは、いまの、ありのままのあんたなんだから」
 言葉を足せば、腕の中で強張る身体。
「何があったとしても、俺は、あんたが好き」
 更に足される言葉に、また不意に腕を振り払うように抗われて、きつく抱き締める。
「あんたが好き」
 囁いて、抱き留めた。
 今回、緊急招集を受けて集まり、出かけた先の小国で出会ったのは、BGから流れ出た技術で作られた、ロボット工学の先の軍備。自動戦車やロボット兵を多量に送り込んで、一方的に行われる反政府組織への粛清。繋ぐべきではない技術の破壊に躊躇いはなかったが、その中にあったロボット兵の装備やプログラムに関するデータ―は、明らかにアルベルトのものがベースに使われていた。
 内蔵された、マシンガンにミサイル。
 動きにあわせた照準の取り方。
 現在のアルベルトの動きと比べれば、格段にレベルの低い初期のものと判別できたが、そのロボットを前にしたときの銀髪の下の眼差しは険しかった。
 浮かんでいたのは激しい嫌悪だと、皆気付いていたが、触れずに戻った。
 触れられずに戻って、屋敷の中でも手袋を外さず、すすんで船体の整備に当たって皆と離れようとしているアルベルトを、遠巻きに気遣っていた。
「俺のデータ―は、フランソワーズやあんたからジョーまで、その後に開発された馬鹿げた兵器の全てにまで、きっと使われている」
 小声で綴れは、また強張る身体。
 気付いてた?
 自嘲気味の声音で短く付け足し、顎をのせたまま是とも否とも返さないアルベルトを伺う。
「嫌だと思ったけど、どうにもならない」
 きつく抱き締めた。
「どうにもならないから、付き合ってくことにした」
 溜息を吐くように零して、擦り寄った。
 止められている、手袋を直す指。
 引き結ばれた唇と、タラップ天面の沈黙。
 座り込んだままのふたり。
 暫く。
 暫く。
 そのまま。
 キャットウォークを歩く靴音が遠くにして、ジョーがドッグから出て行ったことを知る。
 抱き込む腕におずおずと掛けられた、作業用の手袋をした、硬い手。
 顎をのせた肩にまた擦り寄れば、否定されずに受け入れられた。
「ランチには遅いけど、外で飯食おうぜ」
「・・・張々湖に怒るぞ」
「そうだな。でも、いいよ。一緒に叱られよう」
 少し笑って胸を震わせれば、背中から伝わったのが、穏やかな呼吸。
「あんた、人工皮膚の処理したら、明後日には帰っちまうんだろう。フランソワーズがチケット取れたって言ってた」
「・・・そうか」
「俺は仕事が切れてるから、まだしばらくいるよ」
「・・・ああ」
「だから、今夜は離れで寝ようぜ」
 庭の隅に立つ、母屋とは別棟の小さな部屋へ誘えば、微かに笑う空気。
「だから、ビール買いに行こうぜ。あんたの好きな銘柄と、俺のバドと」
 また穏やかに震える、抱き締めている胸。
 腕を緩めても、そのまま、預けられている背と胸が、触れ合う。
 そっと手を伸ばして、痩せた指をオイルのシミが残る作業用の革手袋の指に絡めた。
「どうしようもないことは、打ち壊せるときが来るまで、付き合ってくしかない」
 諦めたような声音になってしまったことに、アルベルトが微かに身を固くした事で気付いて、慌ててごまかすように指を解いて抱き締めた。
「キスしていい?」
 被せるように訊ねれば、「駄目だ」と軽く返される。
「じゃあ、もう少し」
 残念だと言外に強く含ませて、抱き締める腕に力を入れる。
「今夜は、離れで、寝よう」
 帰る皆を送り出したら、ふたりだけになろう。
「ああ」
 誘いに返された、短い同意。
 また擦り寄って、もう少しと言い募って、指を絡めた。
 最低限の照明だけを残した、地下の薄暗いドッグの中、タラップの天面に座り込んだふたりの、柔らかい空気。
 それは屋敷の戸外に満ちる、いかにも慈悲深く全世界を包んでいるような錯覚を覚える、穏やかな陽光よりも儚く、確かにそこに感じられた。


 

「Living Valley」のkiya様に「戦いが終わってそれぞれの生活に戻る24」というなんとも重箱の隅をつつくような
キリリクをしてしまいました。すみませんでした(汗)
そんなリクエストに応えて頂いたうえに、
ハインさんを包み込む素敵格好いいジェットの愛を拝見いたしました。
ありがとうございました!

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